幸せな心を育むエクササイズ~明心塾~

自分の意志を通すことが
他の期待を裏切るのではないか
他がそれを願っていないという名目で
自分を抑え込み我慢する。

我慢しては、どこかに無理が生じて
ダメになる

もうだめだ、の手前で
自分の思い通りに動いてみた
人を裏切っているのかもしれない。だが
思った通りに行動した。

心配していたようなことは起こらなかった。
心配?いや、不安だったのだ。

3世前、分をわきまえぬ行動により
共に神職だった異性の幼馴染(自分よりも各上)が
神様から怒られる事態となった
発端は自分であり、そもそもが自分のせいなのだから
代わりに罰を受けた。
神業という言葉がある通り
とんでもない恐怖のトラウマが残った。

その大部分は解消されていたのだが、
自分が思った通りに行動すると
他の誰かに迷惑をかけてしまうのではないか?
そんな不安の念がこびりついて残っていた。

意見を抑え込んで無我の境地へ・・
昔からそう願う気持ちが強かったが
理の読み違い、うけとり違い。
それは単なる我慢だ。

自分の意志を示すことの恐れ不安からくる我慢だ。

その我慢ははけ口を求め、
密やかに他を羨望する
嫉妬の悪想念となっていた。

だから世の中を斜にみがちだったのだな~
と納得した。

そんな想いに気づくと下腹部のチャクラの滞りが流れ出した。
下腹部は嫉妬のカルマがたまりやすい場所だ。

もう、よそばかりみるのは止めて
己の想いに素直になろう。
迷惑かけてもかけられても、まずは行動してみよう
そう想った。

ありがとうございます
愛しています。

幸福になるために
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「愛」は本来

物事の一切を“否定”せず

 

世に在るものすべて

 

たとえ、見えようが見えずとも

すべての存在を認めている

 

では、愛は“肯定”か?と問えば

 

真の愛は

一切の「肯定」ではなく

 

物事の一切合財をそのまま

世に存在するままに

 

甘くも辛くも

受け容れている

 

“真の愛”の源泉たる天は―――遥か・・遥かに遠き

遠き古えの昔―――“無”に

そのみ意(こころ)を発祥させ

 

以来、非常に永い永い世の生涯を

 

過去から現在、そして未来へ

 

真っ直ぐに物事を見つめ

人をふくよかに育まれてきた

 

「真」のふくよかさ

自律する「愛」は、真の受容となり

 

自己否定も、闇雲な肯定もなく

物事の真意を見極め

 

ただひたすら、真っ直ぐに成すべきを

己が魂や心を養うべく

 

自己意識の成長を図る

 

それこそが

天の真、天の愛

 

それこそが

人を育む“真の愛”

 

 

真にありがとうございます

愛しています



善い想念のプロファイル
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一心不乱に仕事にのめり込む

 

そして、それに呼応するように、次々と新たな仕事が舞い込む

 

連日の午前様・・。

 

与えられた仕事をきっちりこなすのが、真の姿勢とばかり

「頑張って当然」との想い。

 

しかし、実は、

・仕事が疎かになる事で周囲から責められる恐れ

・怖いので、仕事を他人に振れない

・きっちり仕事をする事で評価を上げたい

等という我の想いが内心にある。

 

それは真ではない。

我(われ)だけの真では、調和など取れるはずもない。

 

自身の想いに我が関わっている証として、

精神的な囚われが挙げられる。

 

あの案件が心配でしょうがない、あの仕事が遅れたらどうしよう

という不安や焦りなどの苦い想い

 

現象面、現界に囚われている幼い意識

不憫な想いを抱えているのは、きっと三次元あたりの意識だろう

 

さて、ここで自分の生きる意味を振り返る。

毎朝宣言しているとおり、

み心成就の御用にお使い頂く事が私の真である。

 

それに対し、自分の意識はどうだったか

 

仕事が悪いわけではない。

やっていること、行動は同じでも、

意識は「そこ」が軸になければならない

 

特に、塾生は何のために浄化のエネルギー・想念浄化のエネルギーを頂いているのか。

塾生として、役目を果たせるように頂いているのだ。

 

「現象面、実社会(仕事場や家庭など)」と「精神世界(明心塾の教室)」を

分けて、隔てて考えている自分の意識も、

現象面に囚われることの一助となっているようにも感じる。

 

これは、一度気づいた程度で収めるのは難しいだろう。

何度でもそれに気づき、自身の幼い意識を導いていきたい。

 

ごめんなさい

ありがとうございます

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浄化の業の効用
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